ゆるやかな没落『斜陽』 ー明るさと暗さー
どんな話?
太宰治の『斜陽』を読みました。
戦争が終わった昭和20年。没落貴族となって、当主であった父を失ったかず子とその母は、生活を続けるために東京の家を売って、伊豆の山荘で暮らしていました。
2人は着物を売ってまで、なんとかぜいたくな暮らしを続けます。一方、そこに南方の戦地で行方不明になっていた弟の直治が帰ってきます。
直治は戦地でひどいアヘン中毒になっていました。伊豆へ帰ってきても酒に浸る生活で、その上、時折家の金を持ち出しては、東京の小説家で既婚者の、上原のもとを訪れて、自堕落に遊び呆けていました。
直治が麻薬中毒に苦しんでいた頃の手記「夕顔日誌」を読んで、また母が病気に苦しんでいる様を見て、生活に不安を感じたかず子は上原にすがろうと、手紙をよこします。
しかし3度にわたって手紙を出しますが、上原からの返事はありませんでした。一方で、母が結核だということが分かって、母はやがて亡くなってしまいます。
母亡きいまや、かず子は上原を頼るほかなく、東京いる彼のもとを訪ねました。上原は既婚者であったが、2人は結ばれます。(後にかず子が上原の子を妊娠していることが分かります。)
しかし、伊豆ではその夜に直治が母を追うように自殺していました。直治の遺書には元貴族出身であるがための苦悩や、画家の夫を持つ既婚者の女性への許されざる愛などが記されていました。
かず子が妊娠し、弟を亡くしてから、上原はかず子から距離を置くようになります。かず子はシングルマザーとして生きていく決意を上原への手紙に書き記します。
モデルは太宰自身?
執筆の背景
生家の没落
終戦後、GHQの農地改革によって、大地主であった津島家も没落していきます。そんな生家を太宰はロシアの作家アントン・チェーホフの『桜の園』で描かれいる帝政ロシアの没落貴族になぞらえていました。
明るさと暗さが共存する斜陽
斜陽のなかには、真昼の太陽と違って、陰影があり、それがいっそう明るさを際立たせます。明るさが暗さを喚起し、暗さが明るさを喚起する世界を、太宰は『斜陽』の登場人物の光と影になぞらえています。
主人公のかず子が、没落していく生家、病状が悪化していく母、酒や麻薬に溺れて荒んでいく直治を目にして、自分が滅びていくことは避けがたいことだと受け入れながら、不倫の子を産むという道徳革命を成し遂げる様は、まさに『斜陽』を表現していると言えるでしょう。
『斜陽』が書かれた1947年は、日本も敗戦という暗さから、復興そして高度経済成長期という明るさへ向かう時代でした。
だからこそ、多くの読者の共感を得られたのだとも考えられます。